フィリピン・セブ島北部での地震 〜強かに生きようぜ〜

エッセイ

こんにちは、つねこです。

今回は、現地時間 9/30/2025 PM10時 に発生したM6.9の地震に遭遇したことを書いていこうと思います。

前置きになってしまいますが、つねこは現在体調を崩しておりますので、後々訂正が入るような文章になっているかもしれません😓分かりにくかったら教えてくださると助かります🙇‍♀️

当日、何が起こっていたの???

これはあくまで私のスケジュールだったので、他の方は存じ上げませんが、地震発生時からはみんな多分同じ事を体験して行ってると思います。例外はいましたが😓


私はその日、総勢11人でご飯を食べに行っていました。場所は学校の真横にある徒歩30秒で着く韓国料理店。

メンバーは日本人5人、台湾人2人、タイ人2人、韓国人1人、フランス人1人です。

この韓国人Bくん(自称ナポレオン)が以前伝授してくれた『韓国料理の食べ方』が好評だったため、私が長らく仲良くしてもらっている台湾人フレンズを連れていこうぜ!という話でした。

それが気づけば「それならいろんな人呼んで交流会にしようじゃないか」となり、韓国人B君が集めてきた大人数でレストランへ行くことに。ただ、大半がグループレッスンで一緒の人だったので、すんなりと仲良くできたと思います。

前置きはこの程度にして・・・

このパーティが終わったのがPM9:15頃。レストランの外に出るともうすっかり真っ暗になっていました。

このメンバーの中で唯一寮に入っていなかったフランス人のE君を、1人でホテルに返すのは不安があったので、散歩と銘打って送り届け、寮に帰り着いた頃にはPM9:50でした。

外暑いし舗装されていない道を歩いたし、意外と遠かったし、汗かいていたから直ぐにシャワー浴びたいなあ・・・と思い、シャワーブースへ行くともちろん満員だったので、

「しかたないな、ちょっと10時半頃に行こうかな〜」と思い、ドミトリーの中へ。

することもないし、この時点でちょっと強めの頭痛と少しの喉の痛みが出てきていたので、ゴロンと寝転がって目を瞑っていたんです。

すると・・・

ユサユサ、と何か揺れてるんですね。

最初の一瞬は正直、ドミトリーの下の人がまた何か暴れてるのかな、くらいにしか思っていませんでした笑笑(つねこのドミトリーブースは何か変なのか、女性寮のはずなのに男性が数人いたり(なんか最近増えた)、夜中や明け方に大声で談笑している人たちがいたり、突然スピーカーで電話し始める人がいます)

・・・が、まあ揺れが長い。

そして揺れが始まって5秒を過ぎたあたりで「ん?これ、地震か?」と思い、取り敢えず、鍵をかけていなかったドミトリーのドアを私の肩幅より大きめに開けて、もう一度寝転がりました🤣

ですが揺れ始めて15秒くらい経った後、突然突き上げられるような揺れが始まったんですね。

それもかなり強くて。

つねこは寝転がっていたので大丈夫でしたが、叫ぶ人も多く、ドミトリーの外がパニックになっているのは容易に想像できました。

ただ、縦の揺れだったからか棚のものが落ちてくるとかはなく、私は一応起き上がってドアが閉まらないようにしながら壁に寄っていました。

揺れは1分程続いたと思います。停電も起き、その内の強い揺れもなかなか長かった。

そして、ここでふと悩みます。

「日本だと頑丈な建物へ避難と言われるが、そもそもフィリピンに頑丈な建物は存在するのだろうか(失礼)」

ここはセブ島内でも屈指の安全と経済力を誇るITパーク。高層ビルが並び、セブ内では最新のものが揃えてあるような地区。

だが、海外には免震・耐震といった概念が存在しないとも聞いたことがある(分かりませんが😓)

たまに表面に亀裂が見えるこのビルは果たして頑丈な建物なのか?

これがもしNOならば、外に出なければならないし、建物の近くにいるのも危険。

そう思って部屋の外を見た時、グループラインで韓国人B君が一報。

「出ろって。日本人平気でも」(B君は流暢な日本語を使います。このまんまの文章で送られてきました)

あ〜、ということは、このビルは耐震能力無いな???

と思いつつ、B君はしれっと嘘よく言うキャラクターなので、こんな時に言わないよな、と思いつつも部屋の入り口のドア付近にで話し込んでいた日本人女子の数人に聞きました

「今、男性寮の方で外に出るよう指示が来たらしいんだけど、こっちで何か聞いた人いる?」

すると、「さっき広いところに行かなきゃってカフェテリアに行った時に言われました!」と返事が。ただ、あまり緊迫した感じではなさそうだった。

ありがとう、と伝えて、私はいつも身につけているカバンと水筒ボトルと今度みんなで食べようと思っていたスナックと学校で使うIDを持ってハシゴを降り、スニーカーを履いて部屋を出ました。

目の前には偶然お昼一緒に食べているメンバーの看護師2人と、夕食に同行していないが仲のいいタイ人のPちゃんが。Pちゃんがパニックを起こして裸足で廊下にすっ飛んで出たところを「靴履いて!」と伝えた直後だったらしい。

それから日本人がなぜか「何持って行ったら良いですか」と私に聞くので

直ぐに取れるなら水筒を持って、あとIDカードも。部屋のドアが開いているならそのままにして外へ出るように。と返答。

日本だと何も持って行くなと怒られそうですが、フィリピンはマジで暑い。もしここも壊滅的な被害を受けたとして、その後に支援物資が来るのかは謎。

そうなった時に、自分の身を守るための最低限の水は必要であり、IDカードも身分証明になるので必須だと考えました。

そして数人更に日本人で集まり、計5人で階段を降りました。私は気づきませんでしたが、この時階段に亀裂が入っていたそうです。

7階分降りて、スタッフの指示のもと外へ出ると・・・

めっっっっっっっっっっっっっっっっっちゃ人がいました。

後から知ったのですが、ITパークではQQのように会社のビルにある寮に入って仕事をする人が多いみたいで、その社員たちが一気に外に出ていたみたいです。また、近隣のレストランなどからも人がたくさん出てきていたので、とんでもない混み具合になっていました。

どこにいればわからないので、取り敢えずビルからある程度離れたところに行き、次の指示を待つ、という状態に入りました。

そこでふと「連絡」というワードが浮かびました。

あ、とりあえずつねママとつねパパに連絡しなきゃ

「結構大きめの地震が来て、避難中。マグニチュード7らしい」

そのまま姿を確認できていなかった台湾人K君と、地震にほぼ無縁で1人でホテルにいるフランス人E君が心配になり「そっちは大丈夫?」と送ろうとして、電波障害が発生しました。

ビルスタッフたちはビルの点検に入り、この後大きめの地震が来ることはなさそうだというのが場の雰囲気でした。まあ、地震が来るかなんて分かりませんが。

長らく立ちっぱなしで、頭痛と暑さと眠さに耐えながら、ポツポツと話したり、地震情報が見れないかなと検索したりして待っていたところで、提案しました。

「大きな地震の後って大抵雨降るから、屋根の下に行きません?」

その数秒後、ちっちゃ〜い雨粒がポツポツと感じられたので、それを伝えてQQビルの1階屋根の下へ。すると一階の利久というQQ Englishが運営するレストランの中にいた、QQの人たちが「中へ入りなよ」と言ってくれたので、危険かもしれませんが中へ入らせてもらいました。

電気が通っていて、中は涼しく明るい。そして和風な室内に少し安心しながら階段に腰を下ろしました。

「2階使っていいよ?」と店員さんたちが言ってくれましたが、まだ地震に警戒していたので、ここで大丈夫、と伝えて座らせてもらいました。

まあなかなか暇なので、仮眠を取っている人もいたり、おしゃべりに興じている人もいたりする中、私は作曲をして過ごしていました。

そして、0深夜0時を回った頃に「点検が終了したから戻っていいよ」とお達しが。

やっと戻れる〜と思い、ビルの中に入ると、ビルメンテナンスの人が一緒にエレベーターに乗るというので、エレベーターに乗って7階へ移動。

そのまま冷水シャワーを浴びて、就寝しました。

後日談

友人たちからの連絡は寝る前までに来て、ホッと安心して寝たのですが、この時点で両親のラインは既読になっていませんでした。

それもそのはず。つねママ、つねパパは寝るのが異常に早いので。。。(漫画を読んでください)

一方私は体調を崩しており、寝込む勢いで就寝していました。

そして夜中4時。つねママから電話が。眠いし倦怠感すごいし何よりドミトリー内で電話したらダメなので、バイブレーションを切って出なかったら「寝てるのかな?」と思ってくれるだろうと思い、そのまま電話に出ずに寝ていたら、今度はラインの嵐。🥵

でもこのキツさには抗えないのでそのまま寝ていてもあの手この手で起こそうとしてくる。。。

根負けしてスマホの画面を開くが、その光さえ頭に響いてしんどい。おそらくかなりの高熱だったんじゃないかなと思います。スマホの文字を見ることさえ具合悪くなるが、このまま続けられても私と他の入寮者にとって困るので、

「ちょっと熱っぽい。0時に建物に入れるようになってそのまま寝てた。」そして「おやすみ」

とちゃんとつけてもう一度寝ました😓

そして翌日悪化した体調を抱えながら1to1の授業だけ受けて、両親に詳しく事の流れを伝えました。

・・・はい、そうです。次の日も普通に授業がありました。何となく休みになるんじゃないかな、と思っていましたが、普通に授業がありました。

先生達の中には実家が震源地付近なこともあり、気が気でない人もいて、「私たちには決定権がないからこんな日でもここに座っているけど、他の生徒にも聞かれたよ。「何であんな地震があった翌日に仕事しているの?」って」

いや、まじでそうだと思う。🤔

夜眠れなかった生徒も結構多かったようで、生徒側も教師側も疲れ果てていました。

そして昼食を食べるメンバーで集まって話していたところにフランス人E君が来たので、1人で昨晩大丈夫だったか聞くと、

「怖かったよ、かなり混乱したしお母さんに電話した」

と言っていた。実は彼、今20歳で、まさか遠い異国でかなり大きな地震に見舞われるなんて思いもしなかったから、相当パニックになっていたみたいだった。(しかも初の地震だったから😓)

それとは対照的に、韓国人B君は避難中も「戻って良いかな、シャワー浴びたい」と言っていたし、同室の台湾人男性なんか私が外から帰ってきた時に部屋の前で会い、少し話を聞くと避難すらせずに、部屋にいたようだった😓

その台湾人には「逆に何で外に行ったの?」と聞かれたが、説明するのもめんどくさくて、「スタッフに言われたからだよ」とだけ言っておいた。きっと彼は台湾のビルと同じだと思って、崩れないと確信していたのだろう。分からないけど。

そう考えると東アジア人は地震に慣れているな、と。流石にタイまでくると地震はあまり無いのかパニック状態だったが、こんな状態でも眠気を感じている人が東アジア人には多かった。

それが良い事と断定はできないが、より冷静かつ最適な判断が出来るなら、慣れは重要だな、と思った。

逃げた時のバッグの中身

まあ、これに関しては普段私が何を持ち歩いているかという話に直結するのだけど・・・

普段から私は黒い斜めがけの大きめバッグを持ち歩いている。ユニクロで買ったつねママのを借りて来ているのだが、かなり使い勝手が良い。

▶︎いつも入っているもの

  • 水筒
  • 財布
  • のど飴
  • ハンドタオル
  • 薬(胃の保護薬と解熱鎮痛剤)
  • 日本茶のティーパック
  • モバイルバッテリー

▶︎避難時に持ち出したもの

  • 大量のカロナール(解熱鎮痛)、ロキソニン
  • IDカード
  • スナック
  • 水を足した水筒

追加で持っていけばよかったと思ったものは特にありません。時間も限られているので・・・

強いて言うなら傘くらい?

私たちは運良く利久に入れてもらえて雨宿りできましたが、話を聞く限り大雨が降っていたそうなので・・・

プラスで大量の薬を持って行ったのは、もし避難中に怪我や骨折したとしても、鎮痛に使えるので歩けるためです。これはちゃんと用法・用量を守らなければならないので、医師又は薬剤師に聞いてください。

スナックは食べませんでしたが、これがあったので3日は大丈夫か、と安心材料になっていました。

水は避難の直前に喉の痛みがあったので、電気があるうちにウォーターサーバーから注いでおりました。

感想?追記?書き残した事まとめ

海外で地震に遭遇だなんて自分に起こるとは思っていなかったのでとんでも無い経験をしたなと思っていますが、よく考えればこの短期留学期間、変な経験ばかりしている気もする・・・🤔

まあ、いいか。生きてるし🤭

今も寝ていると余震が続いているのが分かります。なのでいつでも逃げられるように準備をしてはいますが、体調を崩しているのでまずはそっちから治さなきゃね😌

あ、ちなみに建物自体は無事でしたが、あちこちに亀裂が入ったようで・・・

階段の接続部分、男性用ドミトリーの天井などに亀裂が見られたそうです。補強なのか見た目を誤魔化すためか分かりませんが、翌日業者が薄くコンクリートを上から塗っていました

私は工事関係のことはてんで分かりませんが、上から同じ色を塗らないあたりフィリピンっぽいな〜と適当に感じていました😅

いや、後日塗るのかも?

そんな話は先生達がしてくれるのですが、先生ネットワークはなかなか凄い。

セブ中の地震発生時の動画が飛び交うようで、色々と見せてもらいました。

今日(10/2)の時点で亡くなった方は60人程に及ぶそうです。亡くなった人の前で泣く人の動画や瓦礫に埋もれている人の動画も見させてもらいました。

ご冥福をお祈りします。

気になる方は見てみてください

それでは今回はこの辺にしようと思います👋

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