フィリピン観光 〜歴史と光る花畑〜

エッセイ

こんにちは、つねこです。

体調崩したり地震が起こったりで色々合ったので少し更新の日が空いてしまいました💦

今回は先日行ってきた歴史旅の振り返っていこうと思います😌

歴史旅の行程

Screenshot

先生に10,000 Roses Cafe をお勧めされたので、そこも行きたい場所としてピックアップしながら、

Chat GPTに相談して作ってもらいました🤭本当に凄い。。。

メンバーはつねこ含めて4人。

日本人のきとさん、韓国人のBくん、フランス人のEくん。

B君は先日誕生日を迎えたばかりで、数日パーティばかり開いてました。そのためか当日は少しキツそうでした😅

とにかく海が綺麗でビーチが沢山あるセブで海にばかり目がいってしまいがちですが、歴史を少し知っていると俄然面白い土地だということが分かるのでおすすめですよ😌

サンペドロ要塞

集合場所は学校があるビルの一階にあるThe Civet Coffee.

出発時刻は10:45くらいでgrabを使ってまずはサンペドロ要塞へ

サンペドロ要塞はフィリピンを統治していたスペインが、イスラム教徒の海賊から守るために建設した要塞です。その後も軍事施設や第二次世界大戦時には捕虜収容所として活用されました。その要塞はフィリピンの中でも最も古く、1565年に建設が開始されています(完成までに200年の時間を要し、1738年に完成しています)

1565年にミゲル・ロペス・デ・レガスピという人物がフィリピンに到着し、スペインからの統治が始まります。この男が乗っていた船の名前がサンペドロだったことからこの要塞は名付けられたそうです。

1800年代、フィリピン革命時代になり、フィリピン人によって要塞が攻撃されていたようです。その後、1898年にフィリピンがスペインからの独立を果たすと、サンペドロ要塞は正式にセブのものとなりました。

三角形の要塞という形をしている事も面白いですが、つねこが最も面白いと感じたのは材料。

スペインが作ったものなのでヨーロッパ風の要塞なのかと思ったら、よく見ると珊瑚岩が使われているんです!!!しかも後から調べてみると、卵の白身も使われているんだとか。

これ頑丈なの?って思うかもしれませんが、かなり耐久性は高いみたいです!

何故ならこの時点で直近2回起きた大きめの地震を乗り越えているから🤣

冗談はさておき、1950年頃にはかなり損傷していたため、修復作業をしているようです。その際も当時のものにできるだけ近づけるためにセブ沿岸の海底から持ってきた珊瑚石を使ったそうです。

今では憩いの場となっていますが、数百年前には兵士がここで国や家族を守り、別の時代では捕虜収容所となっていた、と考えると面白いですね〜

マゼランクロス

マゼラン——— 世界史を学んだことがある人なら必ず聞いたことがあるでしょう、ヨーロッパにおける大航海時代の英雄です。

ポルトガル出身の彼は1519年にスペイン帝国の艦隊を率いて世界一周に乗り出します。経路は西(スペインから見てアメリカ方面)側へ行く西回り。

現在もアルゼンチンにあるマゼラン海峡や天体分野における大マゼラン雲・小マゼラン雲等で名前を耳にする人もいるのではないのでしょうか?

この人の目的は香辛料を直接手に入れること。当時のヨーロッパにおいて香辛料はとてつもなく高価なもので、下手なお宝より俄然高級品でした。

イスラム商人から高額で買い取っていた香辛料を直接手に入れられれば大きな利益が見込めることからヨーロッパでは大航海時代が始まったのです。

この人の功績はマゼラン海峡を発見したこと、そして太平洋の命名と横断です。また、マゼラン自身はセブで亡くなりましたが、マゼランが率いた船はその後スペインへ戻り、人類史上初の世界一周を達成しています。(これにより間接的に地球が丸いことが証明されました)

マゼラン一行は行く先々でキリスト教を布教し、新しい領土を獲得・貿易ルートを確保することで莫大な利益を得ようとしていました。

彼がセブに到着した時も同じようにキリスト教を布教し、植民地にしようとしました。

そう、このマゼランクロスはフィリピンにおけるキリスト教の流入の象徴なのです。

現在見えるこの十字架は外側部分が複製です(奇跡が起こると信じられた十字架だったため、破片が薬になると信じられ、人々が削り取ってしまったからです)

中には入れませんでしたが、宗教画が天井に描かれてあり、布教している頃の絵のようでした。

すぐ後ろにはサントニーニョ教会もあり、オルガンの音が鳴り響き、教会の外にもマゼランクロス周囲にもたくさんの人が来てミサを受けていました。

下に落ちているのは赤い蝋燭で、周囲で売られていました(捧げ物のようでしたがつねこは買いませんでした)

サントニーニョ教会

真後ろにある教会で、フィリピン最古の教会です。

帰ってから調べて分かったことですが、サントニーニョとは幼いイエスキリストのことらしく、つまりこの教会は「イエスキリスト教会」ということのようです。

とっても大きくて、荘厳な感じがカトリックだなあと感じました(つねこは中学・高校でプロテスタント教育を受けているのでカトリックの特徴も少し学んでいます)

つねこ一行が訪れた時間はちょうど日曜日の正午くらいだったので、まだミサの最中でした(どうやら言語を変えて何部かミサが行われているようでした)

つねこは宗教にこだわりも何もないので、献金をする予定はなかったのですが、この赤い蝋燭の下に献金箱があったので、別に払わなくても良いけど、なんか面白いなと思い1ペソ献金しました🤭

先においてあった蝋燭から火を貰って、空いているところに置きます。意外と熱い(当たり前)

カトリックなのでマリア像もありましたし、十字架にはガッツリイエスキリストが磔にされていました。

ミサ中であることと、神聖な場所という事もあって、写真を撮れる場所は少なかったです。

教会の中にある博物館のようなところにも入りました。中には絵画やサントニーニョ像が安置されており、人々は並んでその像を拝んでいました。

つねこ一行はサントニーニョ像について一体なんなのか分かっておらず、一般礼拝者が保護されているサントニーニョ像に手を当てて祈っているのを見ながら、素通りしました。

ふと、Eくんにキリスト教じゃないの?ミサ受けなくていいの?と聞くと、彼はちょっと宗派が違うらしく、偶像崇拝にあたるので大丈夫だと言っていました。

宗派、無限にあるもんね・・・😓

サントニーニョ像、どんなのだろうと思われた方、教会のものではありませんが、教会から数分歩いた先にギョッとするほど大きなサントニーニョ像があったので、参考程度に😅

道を歩いていたときに突然こんなでかいのが現れるとそりゃテンション上がりますよね??みんなで何これ????????って写真撮ってました🤣

ものによるみたいですが、これらサントニーニョ人形・像は肌が若干褐色なんですよ。この地に合った信仰に変化したのかな、と思うと面白いですね〜

セブ最大の祭りであるシヌログにも登場するみたいです。一度そのお祭りも見てみたいです🤭

昼食・プソビレッジ

あのでっっっっっっっかいサントニーニョ像の真ん前にあるプソビレッジで昼食を摂りました。

豚肉の(おそらくグレイビーソース?)となんか濃い味付けで甘塩っぱいシーフード煮込み、かにのオニオンポテト焼き???とアーリーマンゴー(シェイク)です。

数日前まで体調崩していたつねこには多く感じた昼食ですが、みんな何食わぬ顔して食べていました。

▶︎そしてこの後、つねこは謎の吐き気に見舞われます。

マクタンニュータウン

昼食が終わった後、マクタン・シュラインに行こうとしたのですが、今更ながら距離が遠い・・・

男性陣がタバコに入っている間にきとさんと話していましたが、近くの博物館でよくない?という結論になり、博物館に移動すると閉館していました・・・

色々話していましたが結局マクタン・シュラインに行くことになり、grabを手配。

ですが、近くには教会(しかもミサ中)、複数ある観光地の中という場所にいたせいなのか

・・・・・・来ない。

そうして待っている間になんか地味〜〜な満腹感?倦怠感?吐き気?が襲う。

ずっと暑くて汗かいていた事もありましたし、脱水症状かな?と思って水を飲んでいましたが、むしろ満腹感が確信的に吐き気に変わりました。

とりあえずみんなにそのことを伝えておく。突然吐いても倒れても困るので、伝えずに耐えるというのは悪手ですよね〜

特にきとさんは看護師8年目という心強い仲間なので、一緒にアセスメントしてもらっていました🤣

そんなこんなしているうちに配車が到着し、車に揺られること約45分。

目的地が近くなってきたところでBくんが一旦近くのカフェに行こうと提案してくれたことで、行き先を少し変えて、マクタンニュータウンのスターバックスコーヒーへ。

すっごい穏やかなところでつねこはまずトイレに入り、しっかり吐きました😅

マンゴーもカニのポテト焼きも全部出て、すごくスッキリ。

完全に吐き気がなくなったわけじゃなかったので、原因は貝が生煮えだったんだろうな〜なんて考えながら、それでもうんと体調は良くなったので、トイレから脱出。

Bくんが買ってくれていた水をがぶ飲みして、席に座り、しばらく休憩していると、ふとBくんが居ないことに気付く。

推定吐き気の原因の貝をBくんも食べていたので、もしかして具合悪くなってた?と心配して所在を聞くと、外に出て道路の反対側にいるから来い。と。。。

とりあえず外に出て見渡すと、

道路の向こう側の芝生エリアにある出店前で、こっちに向かって手を振る手が3本。こっちに来いとサインが送られてくる。

・・・・誰?

そのうちの1人がBくんだということは分かったので、一旦店内に入って、きとさんとEくんに伝えて、場所を移動。

行ってみるとそこにはBくんとオーストラリア・フィリピン人夫婦が一緒に座っていました。

なんの拍子か仲良くなったらしく、私たちも自己紹介をして小一時間ほど駄弁りながら休憩しました。

ITパークでは考えられないほど穏やかで、のんびりできました😌

マクタン・シュライン

シュラインとは聖地・聖堂・廟であり、日本語では神社と訳される場合が一般的です。

ここでは聖地と言う意味合いだったようで、大仰なものというよりも憩いの場という感じでした。

隣接している川は干上がっていて、暑さをひしひしと感じました。

さて、このマクタン・シュライン、一体何なのかと言うと

フィリピン歴史上初となる英雄・ラプラプ王の銅像と記念碑が建っています。

ラプラプ王はセブにおいて重要な英雄で、先程記載したマゼランに勝利し、セブを守った王なのです。

時は1521年。セブに上陸したマゼランはキリスト教の布教に励みました。

当時のカトリック教会では、布教には様々な意味合いがあり、キリスト教徒の増加という目的はもちろんのこと、異教徒は「人間ではない」とみなして良いとされた事もあり、異教徒は排除、土地は強奪することが正当化されていました。

じゃあキリスト教徒になれば?———原住民、特に支配者層がキリスト教に改宗すると現地の政治形態や文化形態がキリスト教文化に染まります。その結果、現地の精神的な支配を確立し、植民地支配がより容易になります。

そして、上手く布教が進まない時は強制的に広めるために武力行使も行われていました。

これに反発したマクタン島の首長・ラプラプ王は1521年、「マクタン島の戦い」でマゼランを破り、ヨーロッパによる侵略を防いだとして、フィリピンの国民的英雄になりました。

マゼランはここで戦死し、彼の部下が世界一周を遂げる、という流れになっていきます。

あくまでつねこの考えですが、大航海時代の航海士というのは利益を求める、商人気質のある人間なので、不利益を被る可能性のある戦いはまずしないと思うんです。特にマゼランの場合はスパイスと航路の獲得がメインの仕事なので、自ら危険に飛び込むなんてもっての外。つまり、それでも戦争を仕掛けるということは、容易に勝てる相手だと見込んでいたのでしょう。

この絵を見る限り、身につけているものも武器も科学力もかなり異なりますが、侵略を防ぎ切った、というのはつねこからすると、もうめちゃくちゃ面白いんですよね。

そしてその戦いがこの地で500年程前にあった。そう思うと感慨深いです。

近くにはお土産屋さんの屋台が並んでいたり、青空ダンス教室が開かれていたりしていました。

平和ですね🍀🕊️

10,000 Roses Cafe

ここは先生からおすすめされたカフェです。地面から直接光るプラスチックのバラが生えています🤭

絶対に10,000本もないけど、かなり綺麗でした✨

意外とカフェ自体は空いていましたが、カフェでご飯を食べたいと思っている人はいなかったため、そのまま近くのSMシーサイドモールに行き、正直美味しくない日本食を食べて帰宅しました🤣

ちなみに、この日は一旦つねこが全て支払って、後から徴収する、といった形でしたが、

昼食込み・夕食代抜き・移動費込みで1人あたりp1101でした。ツアーを組むと安くてもp4500掛かるので、相当安く行けたのではと思います!✨

ちなみに夕食代代込みだと、一番食べたE君でp1678、1番食べなかったつねこときとさんでp1391でした。

帰宅後、3度目の地震

帰ってきたのが22:30くらいで、そのまま脱水を起こしていたきとさんとつねこはドミトリーのコモンスペースに移動して、尿意が来るまでひたすらポカリを飲んでいました🤣

その日かかった金額を翌日徴収するために計算していましたが、いつの間にか医療英語コースの人たちもやってきて、日本人看護師の集い????になっていました🤣

月曜0時から出来るようになる授業予約をしながら話して話して話して・・・

そして話題は地震の話になり、すでに2回来ていた事もあって、大盛り上がりしていた時でした。

午前1時、地震発生・・・

つねこは最初、あ、揺れ始めた。くらいだったのですが、隣に座っていた子が瞬時に飛び上がって構えのポーズを取ったんです!

もうその速さったら!!!逆にびっくりしてしまいました🤣

ただ、みんな流石に判断が早いし行動もできる。

すぐにボトルを取って水を汲み、(トイレに行く人もいましたが)そのまま外へ。

廊下には慌てすぎて転ける人もいましたが、安全に外へ出ました。

・・・・・・眠い、シャワー浴びたい。

これは素直なつねこの心情の吐露です🤣

翌日の午前中の授業はこの時点で全部キャンセルしました🤭

アラートに叩き起こされた台湾人Fちゃんや、なんとか避難したけど眠すぎて目が開かないタイ人Rくんは本当に眠そうで、かわいそうだな〜なんて思っていました。

ただ、何が一番辛いって、建物の安全点検で2時間程度要すること。

特に夜なので進みが遅い。

そこで、つねこと美人なNちゃん、元気な看護師Mちゃんの3人で夜のお散歩へ繰り出しました。

学校横のレストランが集まる区域を通り抜けようとすると、とあるレストランの表にタイの友人たちが纏まってお店の椅子に座ってテーブルを囲んでいました。

眠すぎて目を擦っているタイ人Rくん。めっちゃ眠そうやん!とか揶揄いながら別れて、そのままウォーターフロントホテルまで歩き、回り道をしながら学校の反対車線側にあるパン屋さんへ。

時間毎に割引されるらしく、p40くらいで翌朝分のベーグルを入手。

そのまま、学校のビルの点検が終わって中に入れないか確認しにエントランスまで行くと

何故かR君が1人で立っている!!!!

思わずみんな「なんで!?」と驚きました🤣

Rくんも中に入れないか確認しに来たところ、よほど頭が回っていないのか元のテーブルに戻れなくなったようで、ぽけ〜と突っ立っていました🤣

とりあえずRくんをNちゃんが捕まえて、さっきのテーブルへ。

でも・・・いない!!

どうやら置いて行かれてしまったみたいで、途方に暮れるRくん

フラフラしながら「lost・・・(迷子)」と言っていてもう笑いが堪えきれない🤣

タイ人グループを探しに学校の裏口側に回ると、散歩に行かなかった組の日本人や、台湾人グループたちが見えて、話しているうちにR君はインターン生に引き取られ、タイ人グループに戻って行きました🤣

私もきとさんと合流して、エントランスをもう一度確認しに行ったところ、ちょうど中に入れるようになったので、他の人に連絡を回し、やっとドミトリーへ。

中に入れたのは午前3時。そこからシャワーを浴びて、寝たのは午前4時でした😭

地震を受けて——

今回の地震を受けて、帰国を早めた生徒も数人いました。

私は最後までいる予定ですが、フィリピンでの調査から、12月いっぱいまでは大きな地震に警戒した方が良いみたいです。

あと数週間、もう来ないことを願うしかないですが、正直わかりません。

とりあえずQQは何があっても返金対応はしない会社なので、居座ってやろうと考えてます🤣

ちなみに、QQの CEOは「日頃の訓練が〜スムーズな避難を〜」なんてブログで言っていたみたいですが、訓練したとは思えないレベルで先生たちが一番狼狽えていました笑

あと、聞いたところによると、訓練しているのも朝出勤している先生たちだけだそうです。。。

叫んだり、泣いたり、動揺して動けなかったり、腰抜かしたりしている先生たちの中で、

日本人スタッフは椅子に座って普通に仕事をしていました🤣

まあ、日本人にとっては地震も怖いけど、津波がもっと怖いからなあ・・・

とりあえず、これ以上生活リズムを狂わせたくないので、もう地震が来ないことを祈ります😅

今回は以上です、それではまた👋

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